大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所小倉支部 昭和36年(ワ)820号 判決

原告 中石美代子 外一名

被告 神野シゲ

主文

被告は原告等に対し、別紙第一目録〈省略〉記載の各物件につき昭和三十六年九月十八日福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以てなした遺贈による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

被告は原告中石美代子に対し四万六千四十四円を、原告近藤清江に対し二万三千二十二円を支払え。

原告等その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第二項に限り、原告中石美代子において金一万五千円の、原告近藤清江において金八千円の各担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、

第一、主位的請求として、「被告が昭和三十六年七月十八日検認を求めた福岡家庭裁判所小倉支部昭和三六年(家)第八四九号による昭和三十四年二月二十日付訴外亡神野清躬の自筆遺言書による遺言の無効なることを確認する。被告は原告等に対し、昭和三十六年九月十八日付福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以て別紙第一目録記載の物件につきなした遺贈による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。被告は原告中石美代子に対し九万四百九十二円を、原告近藤清江に対し四万五千二百四十六円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に金員請求部分に限り仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告中石美代子は訴外亡神野清躬を父とし、亡神野ウタを母とする長女の亡サカヱ(清躬死亡前に死亡した)の長女であるが大正十四年三月十日右祖父母の養女となつた。原告近藤清江は右祖父母の長男亡正幸(清躬死亡前に死亡した)の長女である。祖母神野ウタは昭和十二年九月八日死亡し、昭和二十三年四月六日亡神野清躬は被告と婚姻した。

二、而して神野清躬は別紙第一目録記載の土地、家屋(以下本件土地、家屋と称する)と、別紙第二目録〈省略〉記載の預金(同目録(一)(二)記載の分)合計十万三千七円、及び同目録(三)記載の被告と共同で有する大商証券株式会社に対する二十万一千二百円の償還金債権をその死亡当時有していたが、清躬は昭和三十五年十二月二十二日死亡したので、被告はその配偶者として、原告等は代襲相続人として、またそのうち原告中石美代子は子として、各々その相続権が発生した。

三、然るに、被告は清躬が昭和三十四年二月二十日自筆遺言書を作成したとして福岡家庭裁判所小倉支部に対し遺言の検認審判を求め、同年七月十八日同裁判所において検認されるに至つた。その遺言書によれば被告に対し本件土地、家屋を遺贈する旨記載されてあつて、被告は右遺言に基き本件土地、家屋について昭和三十六年九月十八日福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以て遺贈による所有権移転登記手続を経由した。

四、しかしながら、清躬は幼少の頃より字を書き又は読むということを知らず、生存中は自分の氏名すら書くことが出来ず、しかも毛筆で書くということは不可能なことで、まして漢字を書くことは出来なかつた。右よりしてこの遺言書は何者かによつて作成された自筆によらない書面であることは明かであり、無効である。するとその遺言は無効であり、無効な遺言による所有権移転登記もまた無効である。

五、次に被告は別紙第二目録記載の株式会社富士銀行小倉支店の五万三千七円と、小倉市信用金庫の五万円の定期預金と、祖父清躬と被告共同の大商証券株式会社小倉支店に投資の償還金二十万一千二百円を相続開始後、相続人等に内密に払渡を受けながら、これを自己独りで収得して他の相続人たる原告等に分配せず、不当にこれを利得している。ところで原告等の相続による右債権に対する相続分は、右金額中、被告の本来の債権を除いた被相続人の債権に属する金額合計二十万三千六百七円について、原告中石美代子はその九分の四、原告近藤清江はその九分の二となる。よつて被告に対し、不当利得金の返還として、原告中石美代子は九万四百九十二円を、原告近藤清江は四万五千二百四十六円の各支払を求める。

以上各請求のため本訴に及んだと述べ、

第二、予備的請求として、主位的請求の請求の趣旨第二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、仮りに本件遺言書が清躬の自筆により作成された有効なものであり、従つて右による遺言が有効とすれば、原告等は前述の通り同人の養女又は代襲相続人として、原告中石美代子は本件土地、家屋に対する二分の一の更に九分の四、原告近藤清江は右物件に対する二分の一の更に九分の二の各遺留分権を有するものであるから、本訴においてその減殺の意思表示をする。すると、本件土地、家屋について被告単独を以てなされた前述遺贈による所有権移転登記は不当であつて右は抹消さるべきであるから、被告に対し右各物件につき被告が昭和三十六年九月十八日福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以てなしたる遺贈による所有権移転登記の抹消登記手続を求めるため本訴に及んだと述べ、

主位的並に予備的請求原因に対する被告各抗弁事実を否認し、予備的請求原因に対する被告の抗弁に対して、更に、仮に被告主張の如き価額による弁済が認められるとしても、被告は本件土地、家屋を早晩第三者に売り払う意思であるから、かかる場合においては、民法第千四十一条第一項の価額による弁済の主張は許されないと述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は主位的請求並に予備的請求に対し、いずれも「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、主位的請求の請求原因に対し、

第一項の事実は認める。

第二項の事実中、神野清躬が昭和三十五年十二月二十二日死亡し、被告がその配偶者として、原告等がその代襲相続人として、またそのうち原告中石美代子が子として清躬の遺産を相続したこと、清躬が右死亡当時本件土地、家屋を所有し、且つ別紙第二目録(三)記載の被告と共同による大商証券株式会社に対する二十万一千二百円の償還金債権を有していたこと、並に神野清躬がその生存中である昭和三十五年六月十九日まで別紙第二目録(一)記載の株式会社富士銀行小倉支店の五万三千七円の定期預金債権を有していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三項の事実は認める。

第四項の事実は否認する。本件遺言書は神野清躬の自筆によるものであつて、原告等主張の如き瑕疵はない。

第五項の事実中、被告がいずれも清躬死亡後である昭和三十六年二月三日別紙第二目録(二)記載の小倉市信用金庫の定期預金中三千円の払戻しを、昭和三十六年五月二十七日、清躬と被告との共同にかかる大商証券株式会社小倉支店の割興償還金債権中、十万六百円の払渡しを受けたことは認めるが、その余の事実は否認すると述べ、

原告等の予備的請求原因事実に対しては、原告等がその主張の如き割合による遺留分権を有していること、本件土地、家屋につき原告等主張の如き遺贈があり右に基き被告が原告等主張の如き所有権移転登記を経由したことは認めるが、その余の主張は争うと述べ、

右主に的請求原因事実に対する抗弁として、被告は清躬生存中の昭和三十五年六月二十日株式会社富士銀行より別紙第二目録(一)記載の定期預金五万三千七円の払戻を受け、且つその払戻金は清躬生存中同人の生活費として受領し且つその頃費消したものであるから清躬死亡当時には原告等に相続さるべき定期預金債権及びその払戻金はないと述べ、

予備的請求原因事実に対する抗弁として、本件土地、家屋の相続開始当時の時価は合計二百二十六万百二円である。従つて被告は民法第千四十一条第一項に基き、原告等に対し右各物件の合計価額の三分の一に当る七十五万三千三百六十七円を以て価額弁済をなすものであるから、原告等の予備的請求も失当であると述べ、

原告等再抗弁事実を否認した。〈立証省略〉

理由

第一、原告等の主位的請求について、

一、原告中石美代子が訴外亡神野清躬を父とし、亡神野ウタを母とする長女の亡サカヱ(清躬死亡前に死亡)の長女であるが、大正十四年三月十日右祖父母の養女となり、原告近藤清江が右祖父母の長男亡正幸(清躬死亡前に死亡)の長女であること、祖母神野ウタは昭和十二年九月八日死亡し、昭和二十三年四月六日神野清躬は被告と婚姻したこと、神野清躬が昭和三十五年十二月二十二日死亡し、被告はその配偶者として、原告等はその代襲相続人として、またそのうち原告中石美代子は養女として清躬の遺産を相続したこと、清躬が右死亡当時本件土地、家屋を所有し、且つ別紙第二目録(三)記載の被告と共同による大商証券株式会社に対する二十万一千二百円の償還金債権を有していたこと、並に清躬の生存中である昭和三十五年六月十九日まで別紙第二目録(一)記載の株式会社富士銀行小倉支店に対する五万三千七円の定期預金債権を有していたことは当事者間に争がない。

二、次に被告は清躬が昭和三十四年二月二十日自筆遺言書を作成したとして、福岡家庭裁判所小倉支部に対し遺言の検認審判を求め、同年七月十八日同裁判所において検認されるに至つたこと、その遺言書によれば、被告に対し、本件土地、家屋を遺贈する旨記載されていて、被告は右遺言に基き、本件土地、家屋について昭和三十六年九月八日福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以て遺贈による所有権移転登記を経由したことも当事者間に争がない。そこで原告等は右は自筆によるものではなく、清躬以外の者によつて筆記された無効な遺言書である旨主張するのに対し、被告は右遺言書は清躬の自筆によるもので有効である旨抗争するので考えるに、成立に争のない乙第一号証、同第三号証、被告本人尋問の結果により成立を認め得る乙第十号証の一乃至六、同第十一号証の一、同第十一号証の三(乙第十号証の一乃至六、乙第十一号証の一、三の成立に関する証人神野正輝の証言並に原告中石美代子本人尋問の結果は採用しない)、証人寺島広海の証言、鑑定人石田忠之の鑑定の結果並に被告本人尋問の結果によると乙第二号証(遺言書)は神野清躬の自筆により作成された書面であることが認められ、右認定に反する証人中石義隆、同藤井キタヨ同神野正輝の各証言並に原告中石美代子本人尋問の結果は前掲各証拠と対比して採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。すると前記神野清躬の遺言書は同人の自筆によるものであつて、原告等主張の如き瑕疵はない。よつて右の自筆によらないことを理由とする原告等の遺言無効確認並に本件土地、家屋の所有権移転登記抹消の各請求はいずれも失当である。

三、次に不当利得の返還請求につき考えるに、神野清躬が昭和三十五年十二月二十二日死亡し、被告並に原告等が同人との前述の如き身分関係により同人の遺産を相続したことは前記のとおりであるから、原告中石美代子は清躬の権利の九分の四、原告近藤清江はその九分の二、被告はその九分の三の相続権を有するものというべきである。

よつて順次原告等主張の別紙第二目録記載の債権の存在並にその支払につき考えるに、先ず同目録(一)記載の株式会社富士銀行小倉支店の定期預金債権五万三千七円を清躬がその生前有していたことは当事者間に争のないところ、成立に争のない乙第九号証並に被告本人尋問の結果によると右定期預金債権は昭和三十五年六月二十日既に全額現金を以てその正当な受取人に支払われていることが認められ、右認定に反する証拠もない。すると右債権は清躬の死亡による相続開始以前に既に消滅しているものであつて、右債権の相続を前提とする原告等の主張は理由がない。

次に、成立に争のない乙第八号証によると神野清躬はその生前別紙第二目録(二)記載の小倉市信用金庫に対する合計五万円の預金債権を有していたことが認められる。しかして被告が昭和三十六年二月三日右の預金のうち三千円の払戻しを受けたことは被告の自白するところであるが、被告がなお、それ以上に右預金の残額の払戻を受けたとの原告等主張の事実はこれを認めしめるに足る証拠はない。甲第五号証を以てしても右事実を認めしめるに至らない。

次に神野清躬がその生前、被告と共同で別紙第二目録(三)記載の大商証券株式会社に対する二十万一千二百円の割興償還金債権を有していたことは当事者間に争のないところ、成立に争のない甲第六号証及び乙第七号証並に被告本人尋問の結果によると、右償還金中十万六百円は昭和三十六年五月二十七日に、同内金十万六百円は同年六月二十八日に、それぞれ被告においてその支払を受けたことが認められる(右事実中、昭和三十六年五月二十七日被告が右償還金内金十万六百円の支払を受けたことは当事者間に争がない)。右認定に反する証拠もない。すると、前述の如く右償還金債権は清躬との共同債権であるから、その債権の半額は清躬に帰属すべきものであり、従つて二十万千二百円の半額十万六百円は清躬の債権である。

果して以上のとおりであるとすれば、被告の払渡を受けた小倉市信用金庫の預金債権三千円及び右大商証券株式会社の償還金債権中十万六百円は清躬のものとして被告において単独にてこれが払渡を受ける権利を原告等に対して有せず、いずれも原告等に対して法律上の原因なくして取得した利益であつて、且つ原告等に対し被告の得たる利益と同額の損害を蒙らしめているものというべきであるから、いずれもこれを原告等に対して、同人等の相続分に応じて返還すべき義務がある。

よつて被告の原告等に対して返還すべき金額につき調べるに、原告等の相続分は前述の如き割合であるから、被告は原告中石美代子に対し四万六千四十四円を、原告近藤清江に対し二万三千二十二円を各支払うべき義務がある。よつて被告に対し右各金員の支払を求める限度において原告等の右請求は正当である。

第二、原告等の予備的請求について。

原告等は本件遺言書が自筆によるものであり、従つてその遺贈が有効とすれば、遺留分権侵害を理由として減殺により、本件土地、家屋の返還を求めるというので考えるに、神野清躬の遺産に対し、原告中石美代子は同人の養女にして且つ代襲相続人として二分の一の更に九分の四の、原告近藤清江は同人の代襲相続人として二分の一の更に九分の二の各遺留分権を有するものであるところ、原告等が本訴において被告に対し減殺の意思表示をしたことは本件記録により明かであるから、被告は原告等の遺留分の保全に必要なる限度においてその遺贈物を原告等に返還すべき義務がある。ところで原告等がその遺留分算定の基礎として主張する相続財産は本件土地、家屋にのみ限り、その余の積極財産を主張せず、被告もまた右に対し、相続財産に考慮さるべき消極財産の主張をみない本件にあつては、遺留分算定の基礎たる清躬の財産は本訴においては本件土地、家屋に限るものということとなる。しかして減殺権は前述の如く遺留分の保全に必要な限度において行うべきものであるも、その目的物が性質上不可分である場合はこれを分割してその一部を返還させるということは適当ではないので、かかる場合には目的物の全部を返還させて、超過部分の価額を遺留分権者が返却すれば足るものとすべきである。ところで本件土地、家屋は、建物とその敷地との関係に立ち、性質上不可分の場合に当ること明らかであるから、被告は遺贈により取得した右各物件を原告等に対して返還すべき義務がある。

そこで被告は民法第千四十一条第一項に基き、原告等に対し本件土地、家屋の相続開始時の時価の三分の一に当る七十五万三千三百六十七円を以て価額の弁済をなし、右により目的物の返還を免れる旨主張するも、民法第千四十一条第一項による価額の弁償はその弁済を了することを意味し、単に弁償する旨述べたに過ぎない場合は、未だ減殺の結果生じた返還義務はこれを免れないものというべきである。被告が右弁償価額を原告等に対し弁済(若しくは供託)したとの主張立証のない本件にあつては被告の右抗弁はこれを採用するに由ないものである。すると原告等の予備的請求は理由があり、被告は原告等に対し本件土地、家屋につき昭和三十六年九月十八日福岡法務局小倉支局受付第一二九四七号を以てなした遺贈による所有権移転登記の抹消登記手続をすべき義務がある。

第三、果して以上のとおりであるとすれば、原告等の本訴請求は被告に対し、いずれも不当利得金として、原告中石美代子に対し四万六千四十四円の、原告近藤清江に対し二万三千二十二円の各支払を求めると共に、別紙第一目録記載の各物件についてなされた前記遺贈による所有権移転登記の抹消登記手続を求める限度において正当であるから、右範囲においてこれを認容すると共に右を超える原告等の各請求は失当として棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡徳寿)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例